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「未然課題」連続インタビュープロジェクト

インタビュー#14 石井 和之

東京大学生産技術研究所 教授|機能性錯体化学

現在、データベースに登録されている化学物質の数は2億7900万件にのぼるそうです。石井和之氏はこうした化学物質を機能化する研究をしています。研究の内容は放射性セシウムを吸着する布の開発から新しいがんの治療方法まで多岐にわたります。さらに、生命の起源の解明につながる研究にも取り組んでいます。
石井氏に、30年にわたる研究の一部をご紹介いただきながら、ホライゾンスキャニングという考え方、そして未然課題について語っていただきました。
前編に引き続き、後編をお届けします。
<前編:https://oec.iis.u-tokyo.ac.jp/?post_type=topics&p=404&preview=true

東日本大震災で開発したセシウムを除去する布

一般に技術の社会実装には、魔の川(Devil River)、死の谷(Valley of Death)、ダーウィンの海(Darwinian Sea)といわれるようなハードルがあり、なかなかたどり着けるものではありません。しかし冒頭で述べたように、現在は、膨大な数の化学物質がプールされている状況で、これらをどう機能化していくかは大きな課題です。
私は生研に来る前は、長く理学部に所属していました。理学部は知の探究の側面が強く、すぐに何かの役に立つわけではなくても、面白ければ研究の対象として成立します。一方、工学では、その研究が役にたつ可能性があるかをまず考える必要があります。これは非常に大きな違いです。
私の場合、理学部ですが所属していた研究室で機能化を意識した研究をしていた影響もあり、また2000年頃、化学でものをつくれるようになりつつあって、これからの化学は、単に理解するだけでなく、応用の方にも向かわないといけないのではないかと考えるようになりました。それが今の研究につながっています。
社会実装できた一例として、プルシアンブルーという錯体を使った放射性セシウム除染布があります。東日本大震災のあと、生産技術研究所(生研)の他の先生方との共同研究を行い、2012年には企業との共同研究開発も行うことで、低コストの量産化を実現しました。
プルシアンブルーというのはジャングルジムのような構造になっており、この隙間にセシウムイオンが入り混むことで吸着されると考えられています。

プルシアンブルーの構造

実はこのプルシアンブルーのジャングル構造は、鉄イオンと鉄シアノ錯体を混ぜると誰でも数秒でつくることができます。粉状なので、セシウムが散らばったところに撒いておけば、粉がセシウムイオンを吸ってくれます。
ただ、その粉を回収することができません。そこで、取り扱いやすくするためにどうしたらよいか、試行錯誤し、「2つの溶液を混ぜると粉末ができるということは、布を片方に漬けたあと、もう片方に漬ければ布状で合成されるのではないか」というアイデアに辿り着きました。さらに企業にも入っていただき、製品化を実現することができました。
やはりこうした研究は、実際の現場を知る企業の方にも入っていただくことが大切だと思います。

開発した量産型放射性セシウム除去布

生命の起源に迫る

その一方で、大学の研究室として、やはり知の探究、科学の追求としての研究も大切だと感じています。そこで、どうせやるなら大きなテーマに取り組もうと始めたテーマが、「生命のホモキラリティー起源に迫る」です。
分子は、原子の結合が同じでも、その構造の位置関係を合わせ鏡にすると鏡像が重ならないことがあります。このような性質を分子のキラリティー、そのような分子をキラル分子と呼びます。
例えばアミノ酸にはD体、L体という鏡像異性体(鏡像が重ならない分子)が存在し、右手と左手の関係にたとえられます。実は生物を構成するアミノ酸は、片方の鏡像異性体のL体のみしかありません。また、糖の場合はD体のみが生物を構成しています。
このように、キラル分子において片方の鏡像異性体だけに偏っていることを示す用語として、ホモキラリティーという言葉があり、生物に共通したホモキラリティーを「生命のホモキラリティー」と称しています。
そして「何故、L体のアミノ酸を用いて生物は構築されたのか?」は、生命の起源にも関係する未解決の難問です。

分子キラリティー

この難問について、化学の分野では主に3つの考え方があります。1つは、地球の自転運動による渦運動(コリオリ力)です。例えば台風は北半球と南半球で渦の向きが変わります。そこで「本質的にキラルである渦運動により、片方の鏡像異性体が選択的につくられたのであろう」という考え方があります。
実は私の研究室では2019年に、ロータリーエバポレーターという回転式蒸発装置を使ったマクロな機械的回転による渦運動によって、右巻きまたは左巻きにねじれたフタロシアニンという錯体のキラル化合物をつくることができました。
これまでも同様の方法でキラル化合物の合成例が報告されていましたが、再現性が低く、キラリティーを誘起する機構も不明でした。この発見は生命のホモキラリティー起源を考える上での手がかりを提供しています。

地球の渦運動と光と磁場が生命にもたらす不思議な現象

また、渦運動(コリオリ力)とは別に、「宇宙で光により片方の鏡像異性体が選択的につくられた」という考え方が、2つ提案されています。その1つは、「円偏光による光反応」です。偏光というのは特定の方向に振動する光で、振動が円を描いて回転しているものを円偏光と称します。
キラル分子では、その回転の方向が右回りのときと、左回りのときでは、光の吸収に差があることがわかっています。そしてアミノ酸のD体L体のような鏡像異性体がそれぞれ同じ量だけ混ざった状態で右円偏光を照射すると、一方の鏡像異性体は光を吸収して、もう一方は光を吸収しづらいということが起こります。この性質を円偏光二色性と称します。前者が光を吸収して反応するのに対し、後者は反応を起こさないことにより片方の鏡像異性体だけが残ったというのが、上述の「円偏光による光反応」という考え方です。
実はオーストラリアに落ちたマーチソン隕石を分析したところ、わずかではありますが、「D体に比べて、L体のアミノ酸が多かった」という研究結果が報告されました。これは、「宇宙における光反応により生成したL体過剰のアミノ酸が地球に飛来した」という仮説の根拠となっています。
実際、宇宙には円偏光が存在することもわかっています。また、ほとんどの鏡像異性体で円偏光二色性を示すことからも、円偏光による光反応は、生命のホモキラリティー起源を説明する重要な候補となっています。
もう1つの考え方は、「磁気キラル二色性」という現象です。これはキラル分子の光の吸収が、光の進行方向と磁場方向の平行・反平行によっても変化するという現象です。
磁気キラル二色性の場合、①磁場が強ければ、片方の鏡像異性体だけが残るという鏡像異性体の選択性が非常に高まること、②宇宙には、大変強い磁場(中性子星は108~1012テスラ)が存在することなどから、これもまた、生命のホモキラリティー起源の候補の1つとなっています。

右手の分子と左手の分子では、円偏光や地場によって、光の吸収が変わる。

しかし、磁気キラル二色性という現象は金属を含む化合物において観測されているのみで、生命を構成する有機化合物では観測例はありませんでした。私の研究室では、有機化合物においても磁気キラル二色性が観測できることを実証しました。報告したのは2011年ですが、この1~2年は、磁気キラル二色性が非常に流行りのテーマになっていると感じます。

他人が注目していないことに目を向ける

これまでの研究を振り返ると、この30年間ほどでラッキーだったなと感じることが主に3つあります。1つ目は有機ELで燐光が使われることになり、それまで研究していた領域が注目される領域になったこと。2つ目は興味から始めた基礎研究を役に立つ技術(マウスに投与したビタミンCを観察する方法など)につなげることができたこと。3つ目は磁気キラル二色性が後に注目されたことです。
これらの経験から思うことは、すぐに役に立つかわからなくても、他の人がやっていない面白そうなことに取り組んでいると、それが花開くことがあるということです。逆に、その時流行っていることに飛びついてしまうと、流行りが終わった瞬間に終わってしまいます。
ですから、他人が注目していないことを中心に、研究を展開するようにしています。やっていることはきわめてマニアックですが、研究成果はプレスリリースを出して、なるべく注目してもらえるような工夫をしています。

ソフトクリスタルという新ジャンルの開拓

では、私の研究分野で未然課題が何かというと、これはなかなか難しいところです。ただ、ホライゾンスキャニングは未然課題につながるのではないかと感じています。
従来、研究プロジェクトでは、着目されているテーマに巨額を投じ、重点的に研究するということも行われてきました。しかしそれが花開くのは30~40%だという話も聞きます。
そこで私は、研究の裾野でピッピッと出ている小さな信号を拾って、将来的に大きな変革をもたらしうる研究を展望するホライゾンスキャニングが重要ではないかと考えています。
私が取り組んでいるホライゾンスキャニングの最適例は、ソフトクリスタルです。2016年頃、日本全国から研究者に集まっていただき、これから金属錯体の光化学で何かできないかについてディスカッションをしました。そこで近年、相次いで見つかっている、結晶であるが、液晶のように柔らかいという、これまでの常識を覆すような新しい物質群をソフトクリスタルと命名し、新たな研究ジャンルを開拓していこうと話になりました。
ソフトクリスタルとは、「蒸気にさらす、擦る、回すなどの極めて弱いマクロな刺激に応答して、発光や光学特性などの『目に見える』性質が変化する新奇物質群」で、「規則正しい結晶構造・周期構造を持つ安定な構造体でありながら、特定の弱い刺激で容易に構造変換や相転移を起こす」という特徴を持ちます。
私自身は事務局として主にどのように今後応用展開できるかを検討しています。新しい機能を創出しても、結局、応用されるまでの道のりは遠く、険しいです。そのための仲間集めや資金集めなどの役割を担っています。

人間に目を向け、ホライゾンスキャニングで化学を捉え直す

未然課題を考えるとき、どうしても自分の専門に目が向きがちです。例えば「石油の分野ではどうか」という話になりがちです。しかし、時間軸と空間を考慮した視点で、大局的にものごとを見る必要があると考えています。
特に、化学の分野では、生物、人間への視点が十分ではないことを懸念しています。現在、世界の人口は80億人にのぼり、2050年には100億人近くに達するだろうと言われています。
このように人口が増えると、食料の問題もありますが、マテリアルの面でもみんなで少しずつ我慢しましょうという話が出てくるでしょう。しかし、現状では経済が社会を主導しているところがありますし、そもそも原始時代の生活に戻って我慢するというのは無理な話です。
しかし、地球全体で考えると、物質の量は限られていますし、生物を構成できる生体分子・炭素源などの量も限られているはずです。そうすると結局、地球を出て宇宙に行こうという話になりがちです。
でもそうではなく、地球上でどうしたら上手くやっていけるのかという前提に立ち、それを実現する具体的な方法を考えていくことが大切だと思います。そしてその方法の1つとして、ホライゾンスキャニングの考え方があります。
つまり目先の流行りの研究でなくても、専門的な興味を基に進められている基礎的な研究を大切にし、小さな発展の兆しのあるテーマを地道に研究している人たちを、従来とは異なる視点を持って集結することで、新たな展開をはかる必要があるのではないかと考えています。

石井研究室:https://www.k-ishiilab.iis.u-tokyo.ac.jp/

(2023年2月10日 東京大学生産技術研究所 石井研究室において 取材・構成:田中奈美)

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