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2023.11.22
ワイヤレス通信の理論から「再発見」に挑む(下)|杉浦慎哉
#「未然課題」連続インタビュープロジェクト #ワイヤレス通信 #信号処理 #メタサーフェス知的反射面 #空間変調 #ナイキスト限界を超える高速通信
「未然課題」連続インタビュープロジェクト
インタビュー#15 杉浦 慎哉
東京大学生産技術研究所 准教授|ワイヤレス通信ネットワーク
私たちの日常生活で欠かすことができない携帯電話。そこで使われるワイヤレス通信技術は約10年ごとに標準化が行われ、そのたびに通信速度が10~100倍高速化するという技術革新を遂げてきました。
杉浦慎哉氏はそうした通信技術のおおもととなる理論を使って新しい通信手法を構築する研究にとりくんでいます。最先端の通信技術のなかには、何十年も前の「発見」が掘り起こされたことで実用にいたったものもあるそうです。
杉浦氏にいくつかの研究をご紹介いただきながら、予測できない未来に起こりうるかもしれないワイヤレス通信分野の課題についてうかがいました。
前編に引き続き、後編をお届けします。<前編:https://oec.iis.u-tokyo.ac.jp/topics/128/>
次世代の通信に採用されるかもしれない要素技術
もう1つ、私の研究室で行っている研究の中で、「メタサーフェスを利用した知的反射面」というものがあります。メタサーフェスとはメタマテリアルの一種であり、人工的に構造により自然界にはない特性を持つデバイスを実現するものです。メタサーフェスが反射する電磁波の位相や振幅、偏波などをコントロールすることができます。
メタサーフェスは多数の素子から構成されていて、1素子ごとに反射波の位相を変えることができます。つまり100素子あれば、位相を変えることができる素子が100個あり、位相の変化量を適切に入力すると、反射する電磁波の方向を任意に変えることができます。その制御は電波の伝搬状況に応じて最適化されます。将来的にはAIで自動的に行うことができるかもしれません。
私の研究室では、このような知的反射面を利用して電力効率が高くセキュアなマルチユーザ通信を実現するためのアルゴリズムを提案しました。知的反射面を制御する際に通信速度を最大化させることが一般的ですが、私たちの方式ではより実用を意識してターゲットとなる通信速度を与えたうえで通信に必要な電力消費を最小化するように制御しています。その際、もともとは演算量の高い最適化アルゴリズムを実行する必要がありましたが、最適化問題を複数のサブ問題に分割し、繰り返し解を求めることで最適化に必要な演算量を大幅に削減することに成功しました。また、前半でご紹介した物理レイヤセキュリティ技術を組み合わせることで高い秘匿性を実現できます。
さらに別の研究では、反射波のビーム方向と電磁波の偏波(振動の方向)を任意に制御可能なメタサーフェス構成を開発しました。
メタマテリアルの研究は、電波メタマテリアルや光メタマテリアルとして長く研究されてきました。それがワイヤレス通信分野では、6Gを開発している今の段階になって、高い周波数を有効活用するための有効な手段として俎上に上がってきたところです。
電波の反射の方向をコントロールできると、送信機と受信機がお互いを見通せないような通信経路では使いにくかったミリ波やテラヘルツ波なども、知的反射面を経由することで使えるようになり、より広い帯域を有効利用できる可能性があります。実用的に使える帯域が広がれば一度に送れるデータ量が増え、帯域不足の解消も期待できます。
この技術は6Gで実用化されるかはわかりませんが、いずれ次世代の通信技術に採用されるかもしれません。
既存の概念を疑う
過去の技術を掘り起こすだけでなく、新しい技術の開発も目指してきました。例えば、上記で簡単に触れたアンテナをたくさん使うMIMOという技術は、当初は数本程度のアンテナ規模でしたが、アンテナを100本から1000本など、大量に使うことで多数ユーザーの合計レートを大幅に向上するMassive MIMOという技術が提案されています。しかしながら、アンテナが100本ともなると、それぞれに備え付けられる高周波回路も必要になり、電力消費の大幅な増大が考えられます。
このような問題を解決するために、レートは落ちるものの、膨大なアンテナ数を利用しながら高周波回路の数を1つにする空間変調という技術について研究を進めました。その場合、送ることのできる情報の量は従来のMassive MIMOよりも少なくなるだろうということも提示しています。
また、空間変調方式の研究で見過ごされていた問題点を見つけ、解決方法を提示したことがあります。これは少し細かい話になるのですが、ワイヤレス通信には信号を送る際に、時間ごとに1つずつ送るシングルキャリア伝送という方法と、たくさんの信号をそれぞれのサブキャリアに乗せて合成するマルチキャリア伝送という方式があります。
広く使われているOFDMはマルチキャリア伝送であり、サブキャリアをぎっしり並べて同時に送ります。空間変調の研究のほとんどはこのOFDMを利用することを前提としていました。しかしながら、実はその場合、サブキャリアごとのアンテナ切り替えが必要にあり、高周波回路数を削減しながら送信レートを向上させることができないことがわかりました。
問題の背景として、今の通信は広帯域を使うことが前提にあるのにもかかわらず、簡略化された狭帯域のモデルで基本的な検討がされてきたことがあります。もちろん技術によっては、狭帯域で可能なら広帯域でも使えるというものはたくさんありますが、この技術については、高周波回路削減という目的を考えたときには、狭帯域ベースで検討してはおそらく駄目ではないかと思い至りました。
そこでこの空間変調方式がマルチキャリア伝送と一緒に使えないことを指摘し、シングルキャリア伝送による広帯域通信手法を提案しました。
こうしたアイデアは、時間に余裕がないとなかなか思いつけないと感じています。ある先生が「暇がなければ研究はできない」とおっしゃっていましたが、私のようなタイプの研究者にとって、根本的なところをじっくり振り返る時間は大事だと感じています。
ですので、なるべく少しでもまとまった時間を作るように意識しています。お風呂に入りながら、アイデアを思いつくこともありますし、最近は20~30分軽く走りながらあれこれ考えたりもしています。
通信速度の限界突破に挑戦する
最後にここ10年ほど取り組んでいる「ナイキスト限界を超える高速通信のための信号処理」についてご紹介します。
無線通信では使用できる周波数帯域が決まると、送ることができるシンボル(1つの波)の波形が決まります。通信の際はシンボルがいくつも連続して送られるわけですが、お互いの波形が干渉を及ぼさないように配置するというのが基本です。このため、配置の間隔には限界があります。
これがナイキスト基準と言われるものです。つまり、帯域制限したシンボルが干渉しないように配置すると、送ることができる情報量に上限があり、通信の速度にも限界が生じます。では、この限界を超えるにはどうしたらよいでしょうか。1つのアイデアとして「間隔を無視して詰め込みましょう」というやり方があります。そうすれば、ある一定の時間で、情報をよりたくさん送ることができます。
実はこのコンセプトは1970年代にすでにありました。ただ、受信機では情報を取り出すためにシンボル間に生じる干渉を除去する必要があります。その演算量が膨大で、携帯電話の端末などで処理しきれるようなものではなく、「とても使えない」と考えられてきました。そのため、研究が活発に行われない期間が続きました。
具体的にはN個のシンボルがあった場合、NのN乗個の干渉があるため、そのままこの干渉をすべて除去しようとすると、シンボル数の増加とともに受信機での計算量が爆発的に増加します。そこで、この部分を工夫して、性能は少々落ちるけれど携帯電話でも処理が可能な方法を考えました。
実はその中で利用した技術も昔に発見されたものです。このように過去の発見を掛け合わせることで、新しい技術が生まれることもあります。2013年に原著論文を発表した後、少しずつ引用されていて、ニッチなテーマであるにもかかわらず現時点でTop 10%補正論文(※)になっています。
ナイキスト基準を超える伝送の関連技術は6Gのホワイトペーパーにも含まれるようになりました。私の研究がまわりまわって少しでも貢献できているとしたらうれしく思います。ただ、これが次世代通信を担う夢の技術の発見かというと、実はそうとも言えません。よく「無限に詰め込めこんだら、無限に情報が送れるのではないか」という質問をいただくのですが、本質的には、従来方式で帯域制限時に生じるロス(ロールオフによる損失)を回復することができる技術です。そのため無限に送れるわけではなく、増やせても最大で2倍ということがわかっています。最大で2倍ですから、実環境ではもっと少ないかもしれません。まだ研究の余地はあり、いまも取り込んでいるテーマの1つです。
※Top 10%補正論文:論文の被引用数が各年各分野の上位10%に入る論文を抽出した後、実際の論文数の1/10となるように補正した論文の数
6Gで通信速度が10倍にならないかもしれない未来
通信というのは、結局、インフラであり、土管のようなものです。ですからさらに10倍太い土管を作れたとして、それをどのように使って社会がどのように変わっていくかが重要なのではないかと感じています。
各世代の開発が行われる際に「10倍高速にして何ができるの?今の通信速度で十分では?」という問いかけあったという話をうかがいました。明確な回答はないかもしれませんが、開発段階では明確な利用イメージがなかったとしても、土管が太くなることで波及効果の高いアプリケーションが登場し、それが社会の変革をもたらすかもしれません。
ただ1つ、この分野が直面していると私が感じる課題があります。それは、これまで10年ごとに10~100倍ずつ高速化してきた通信速度は、今後も速くなり続けるのかということです。
6Gで10倍になれば素晴らしいですが、それが達成されなかった社会は果たしてどのようになるでしょうか。本来、10倍速くなればできたはずのいろいろなことが実現しないかもしれません。場合によっては、救えたはずの人の命を救えないかもしれません。
例えば、専門外ですがコンピュータも昔ほどは年々性能が上がっているとは感じにくくなっているような気がします。私のパソコンは5年前に買ったものですが、今でも普通に使えます。以前であれば、性能に不満を感じて使えなくなっていたかもしれません。
通信もいずれそうなる可能性はあると思います。また、カタログの数値的に速くなっているように見えるだけで、実際はそうではないということもありえるでしょう。そのようなことを「未然課題」ととらえて、さらにその先の一歩を進むことはできるのではないかと考えています。
杉浦研究室:http://sgurlab.iis.u-tokyo.ac.jp/index.html
(2023年2月16日 東京大学生産技術研究所 杉浦研究室において 取材・構成:田中奈美)
#「未然課題」連続インタビュープロジェクト #ワイヤレス通信 #信号処理 #メタサーフェス知的反射面 #空間変調 #ナイキスト限界を超える高速通信